更新日時 2024/9/20
1.病歴
その方(女性)は平成9年育児、ご主人との関係の悩みから、A病院を受診し、抑うつ状態と診断されました。(その時は国民年金に加入していました。)
その後平成9年~11年、Bクリニックを受診しました。
平成11年~18年は、育児をしながら問題なくご主人の店で働いていました。
平成18年~22年は、大会社の営業をし、かなり収入もあり、同僚と食事やカラオケで楽しく過ごしていました。
しかし、平成22年同僚とトラブルがあり、不安感が強くなり、Cクリニックを受診しました。(その時は厚生年金に加入していました。)
デパス(精神安定剤)を処方されました。平成25年退職しました。
平成30年、親友が亡くなり、独言が増え、Cクリニックを再受診、主治医の話では、言うことが支離滅裂であったとのことです。
以後、亡くなった友人が自宅を訪ねてくる幻覚、歯医者に行くと歯を全部抜かれてしまうという妄想があり、歯医者のことを考えると寝られなくなり、死のうとまで考えました。
拒食で5kg痩せ、風呂にも入れなくなりました。
令和2年、D病院を受診し、入院を勧められましたが、入院を拒否し、その後、希死念慮が続くようになり、自殺未遂までしてしまいました。
D病院では、うつ病と診断され、レクサプロ、ミルタザピン等を処方されました。
レクサプロは選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)に属する一般的な抗うつ剤です。
ミルタザピンはノルアドレナリン・セロトニン作動性抗うつ剤(NaSSA) であり、従来のSSRIやSNRIとは異なる作用機序であり、比較的短期(約1週間)で効果が現れます。
2.弊所への相談、障害厚生年金の請求、返戻後障害基礎年金への変更
令和2年、弊所に障害年金の相談があり、ヒアリングしたところ、次のような訴えがありました。
自分の精神の不調の最大の原因は、歯医者であり、自殺まで考えた。
人と約束すると、負担が大きくなり寝られなくなるため、一切人と約束しない。
人付き合いは疲れるので、一切しない。大声で独り言をよく言う。奇声が多い。夜中もよく1人でしゃべっている。
道路を歩いていても大声でしゃべり続け、奇異な目で見られる。
冷静に人と会話することができず、興奮したり、話がそれることが多い。
私がヒアリングしていると、先日保健所に行った時に対応してくれた職員が精神障害者(自分)に対して幼稚園児のような扱いをすることに腹が立ち、怒りが治まらないという話が止まらなくなったりしました。
知らない間に借金が増え驚いたが、死ねば保険金が出るから、最悪死ねばいいとも仰っていました。
平成9年~11年、A病院、Bクリニック受診後、平成22年までの11年間は、ご主人の店で問題なく働き、その後大会社の営業をしっかりこなし、充実した日々であり、全く精神系の医療機関の受診はありませんでした。
オーソドックスに、平成9年A病院初診で裁定請求をすると、障害基礎年金、平成22年Cクリニック初診で裁定請求をすると、障害厚生年金であり、同じ2級の場合、大幅に年金額が変わってきます。
平成11年~22年の11年間は、期間の長さ、就労内容から、間違いなく社会的治癒にあたると考えられ、「社会的治癒」を主張し、障害厚生年金で請求することにしました。
しかし、念のためどちらの初診日に転んでもいいように、A病院、Cクリニック両者で受診状況等証明書を作成してもらい、D病院で診断書を作成していただきました。
傷病名:うつ病で充分2級は取得できる診断書でした。
11年間という期間は、社会的治癒として最低限必要とされる5年間と比較すると充分な期間です。
また、その間在籍した大会社の「在籍証明書」、大会社で同僚だった方の「第三者証明」、当時の「確定申告資料」も揃え、社会的治癒の主張としては、完璧であり、自信を持って、障害厚生年金請求をしました。
弊所では、従来多くの社会的治癒を利用した裁定請求をして、ほぼすべて認められてきました。
今回も自信を持っていましたが、意外なことに返戻(差し戻しの意味)がありました。
日本年金機構は、「初診日は平成9年A病院である。初診日を修正して、障害基礎年金への変更するように」というものでした。
日本年金機構の提案は断り、審査請求(不服申立)に進めば、充分勝てるはずと思い、その方と相談しました。
しかし、その方は、審査請求、その後の再審査請求で年金をもらえる時期が遅くなることは避けたいとのことで、日本年金機構の提案通り、初診日を修正して、障害基礎年金に変更することになりました。
不本意ながら変更手続きを行い、その後無事障害基礎年金2級受給が決定しました。
従来弊所が請求して、認められた社会的治癒期間としては、5年~7年が多かったです。
今回は、11年という充分な社会的治癒期間であり、その間の就労内容、根拠資料も申し分なかったと思います。
従来多くの社会的治癒を利用した裁定請求の中で、最も社会的治癒が認められやすいケースであったのに、なぜ今回に限って返戻があったのか謎です。
どうも日本年金機構の認定者によって、認定方法にばらつきがあるとしか考えられない、すっきりしない結末となりました。
うつ病の他の事例はこちら
更新日時 2024/9/5
1.経緯
その方(女性)は平成23年微熱、咳が止まらない、寝汗の症状があり、Aクリニックにかかりました。
「急性気管支炎」とされ、その後も微熱、頭痛、倦怠感、関節痛が続くようになりました。
平成25年~28年、同様の症状が続き、乳がん、精神病、子宮がんかもしれないと思い、Aクリニック、B内科、C耳鼻科、D心療内科を受診しましたが、納得のいく診断はされませんでした。
その後、リウマチを疑い、E病院を受診し、関節痛を訴えても、「心の持ちようの問題」などと理不尽なことを言われました。
平成29年、微熱、倦怠感、関節痛に加え、激しい腹痛があり、F病院にかかりましたが、異常なしとされ、痛み止めの薬が処方されただけで、症状はよくなりませんでした。
F病院では、異常なしという検査結果を聞くまで1カ月かかり、さらに他の医療機関を紹介してくれることもありませんでした。
やむをえず、自力でネットで自分の症状にあてはまる病気を探し、慢性疲労症候群という傷病が一番近いと思い、Gクリニックに慢性疲労症候群の専門医がおられることも調べ、平成29年2月Gクリニックを受診しました。
そこでは、本人の予想通り慢性疲労症候群と診断されました。
その頃は、家事や買物もできず、日中殆ど寝たきりとなっていました。
2.慢性疲労症候群で、裁定請求、審査請求、再審査請求、統合失調症で裁定請求
平成29年3月、慢性疲労症候群で障害年金を申請したいので、お手伝いいただきたいと、本人より当事務所に相談があり、次のように進めました。
■慢性疲労症候群、線維筋痛症の裁定請求
平成23年微熱、咳が止まらない、寝汗の症状があり、受診した、Aクリニックが初診と思われ、Aクリニックで受診状況等証明書を作成いただき、Gクリニックで診断書を作成いただきました。
診断書の傷病名は「慢性疲労症候群、線維筋痛症」でした。
※ 慢性疲労症候群とは
※ 慢性疲労症候群 認定事例(日本年金機構)
※ 線維筋痛症とは
※ 線維筋痛症 認定事例(日本年金機構)
診断書の「傷病の原因又は誘因」欄は、Aクリニックの「急性気管支炎」、「傷病の発生年月日」欄は、Aクリニックを受診した「平成23年頃」、「現在までの治療の内容、期間、経過」欄には、AクリニックからGクリニックまでの経過が細かく記載されていました。
Aクリニックの「急性気管支炎」と「慢性疲労症候群、線維筋痛症」の間に相当因果関係があるかどうかがポイントとなるため、「傷病の原因又は誘因」欄は、Aクリニックの「急性気管支炎」と記載されたことで、初診日はAクリニック受診の平成23年に間違いないと確信しました。
病歴就労状況等申立書に、AクリニックからGクリニックまでの経過を詳しく記述し、平成29年7月裁定請求したところ、初診日は平成23年Aクリニック受診日ではないとのことで、平成29年11月、不支給結果の通知が届きました。
障害状態認定表を開示請求したところ、認定表には、「急性気管支炎」と「慢性疲労症候群」、「線維筋痛症」には、全て相当因果関係は無いと記載がありました。
初診日は、慢性疲労症候群、線維筋痛症と確定診断された、Gクリニック受診日であるとのことでした。
■慢性疲労症候群、線維筋痛症の審査請求
納得がいかないため、審査請求をすることにしました。
Aクリニック、B内科のカルテ開示請求を行い、平成23年以降、微熱、頭痛、倦怠感、関節痛、精神神経症状、その他の症状の経過を時系列にまとめ、カルテコピーとともに、時系列表を審査請求書に添付しました。
主な主張は次の2点です。
・Gクリニックの診断書 「傷病の原因又は誘因」欄は、Aクリニックの「急性気管支炎」、「傷病の発生年月日」欄は、Aクリニックを受診した、「平成23年頃」と記載されている。
・Aクリニック、B内科のカルテには、慢性疲労症候群の症状(微熱、頭痛、関節痛、精神神経症状)の記載がある。
したがって、平成23年受診した、Aクリニックが初診であると訴えました。
審査請求書の結論は、次のように結びました。
「回顧的にみれば、明らかに慢性疲労症候群の症状があるにもかかわらず、どの病院でも納得できる診断がないため、請求人自ら乳がん、精神病、リウマチ、子宮がんを疑い、病院を駆けずり回ったが、正しい病名を診断してくれる病院は無かった。最終的には請求人自ら「慢性疲労症候群」という病気の症状が自分の症状に当てはまることを探し当て、慢性疲労症候群の専門医を受診するに至った。(病歴就労状況等申立書より)
多くの医師であっても慢性疲労症候群、線維筋痛症といった確定診断がなされにくい難病において、確定診断前の症状の考慮なく、初めて確定診断された病院受診日を単純に初診日と判断するのは、失当である。」
なお、日本年金機構のホームページには、初診日の1例として、次のような説明がされています。
「障害の原因となった傷病の前に相当因果関係があると認められる傷病があるときは、最初の傷病の初診日が対象傷病の初診日」
※ 出典 障害年金講座 「初診日とは」 日本年金機構
平成30年1月、厚生局に審査請求を行いましたが、同年6月、棄却通知が届きました。
■慢性疲労症候群、線維筋痛症の再審査請求
本人、私共に、納得がいかないため、再審査請求をすることにしました。
審査請求書での主張と共に、次の3点の主張を追加しました。
・日本年金機構の「国民年金・厚生年金保険障害認定基準」内の初診日の定義から、主張する初診日に間違いはない。
※ 日本年金機構の「国民年金・厚生年金保険障害認定基準」一般的事項 初診日
・医学書院 医学大辞典 第2版の慢性疲労症候群の説明から、平成23年~平成29年の症状は、慢性疲労症候群の特徴に間違いない。
・リウマチ情報センターのホームページ内、「線維筋痛症診療ガイドライン 2017」内の線維筋痛症の説明から、平成23年~平成29年の症状は、線維筋痛症の特徴に間違いない。
したがって、平成23年受診した、Aクリニックが初診であると訴えました。
再審査請求書の結論は、次のように結びました。
「請求者本人が6か所の医療機関を経て、自覚症状から慢性疲労症候群を疑い、専門医がいるGクリニックを探し当て、受診に至ったのは、病歴・就労状況等申立書に記載した通りである。
請求者がそのような医療機関を見つけることが出来なければ、初診日がさらに未来にずれこんでいく不合理はあってはならないことであり、審査会におきましては大義ある決定を下されんことを切に望みます。」
平成30年7月、社会保険審査会に再審査請求を行いましたが、平成31年2月、棄却通知が届きました。
■統合失調症の裁定請求 障害厚生年金3級決定
平成30年1月審査請求後の平成30年4月頃、症状が変化してきました。
従来の症状に加え、幻聴、幻覚、妄想の精神症状が強く出るようになりました。
具体的には、次のような症状が出始めました。
・多くの人に話しかけられる幻聴
・人の顔が浮かんでいる幻覚
・自宅に宇宙人が襲いに来るという妄想
そのため、D心療内科を5年ぶりに再受診したところ、「統合失調症」と診断されました。
(平成25年、最初にD心療内科を受診した際は、「軽いうつ病」と診断されました。)
令和2年3月、ご主人より新たに裁定請求の依頼がありました。
平成25年、最初にD心療内科を受診した日付を初診日とし、D心療内科で「統合失調症」の診断書を作成いただき、令和2年4月、裁定請求をし、無事同年11月障害厚生年金3級が決定しました。
■まとめ
平成29年3月、当事務所に相談があった慢性疲労症候群、線維筋痛症では、残念ながら裁定請求、審査請求、再審査請求すべて不支給、棄却でしたが、令和2年11月統合失調症で何とか障害厚生年金3級受給となりました。
日本年金機構では、慢性疲労症候群、線維筋痛症の複数ある症状のうち、「最も代表的な」症状が受診状況等証明書に記載されていなければ、初診と認めない傾向にあります。
「最も代表的な」症状があっても、患者が他の強く現れた症状を訴え、「最も代表的な」症状を医師に訴えなければ、カルテに残らず、受診状況等証明書にも記載されないことになります。
そのようなケースでは、初診と認められないことになります。
一方、精神障害については、今回のケースのように、初診日は「軽いうつ病」でも、ほぼ間違いなく「統合失調症」の初診日とされます。
したがって、いつの受診が初診日かの判断は非常に難しい場合があり、判断に迷われる場合は、経験豊富な社会保険労務士に相談されることをお勧めします、
更新日 2024/7/6
1.経緯
その方(女性)は優秀で勉強熱心であり、教授達からも可愛がられていた、前途有望な女子大生でした。
教授から学生達が海水浴に誘われ、深夜車で出発し、日中海で遊び、帰宅は翌日の早朝となったそうです。
無理な日帰り旅行の計画がたたり、運転をしてくれていた友人が居眠りをして、交通事故を起こし、同乗していたその方は入院し、びまん性軸索損傷による高次脳機能障害を発症しました。
軸索損傷とは
高次脳機能障害とは
短期記憶を含む記銘力低下、注意機能低下、遂行機能低下があり、人の話を聞いてもすぐに忘れ、十分に理解できない、部屋の片づけができない、大学の授業はほぼ理解できない、それまでの温和な性格では考えられない言動があったり、道に頻繁に迷う、電車を利用できない、といった後遺症が日常的に見られるようになりました。
その方の母親が1人で医師に診断書を書いてもらい、裁定請求をしたところ、不支給の結果となり、母親より当事務所に相談がありました。
2.審査請求、再審査請求
まず、審査請求(不服申立)のご依頼があり、裁定請求で提出した資料コピーをすべて準備してもらいました。
審査請求とは
裁定請求で添付された、診断書を拝見すると、複数不備な部分がありましたが、特に日常生活能力の判定が実態とかけ離れていることがわかりました。
日常生活能力の判定には、7項目(食事、清潔保持、金銭管理買い物、コミュニケーション対人関係、通院服薬、安全保持危機対応、社会性)があります。
これらは「できる~できない」まで4段階で評価しますが、1人暮らしをした場合を想定し、「できる~できない」を評価しなければいけません。
障害年金の診断書(精神の障害用)記載要領9ページ 【「2 日常生活能力の判定」及び「3 日常生活能力の程度」】参照
その方は1人暮らしを想定すると、7項目すべて 1人では何もできず、必ず援助が必要です。
診断書は、医師が母親にヒアリングをして、評価したそうですが、医師、母親共に、1人暮らしを想定した評価をしなければならないことをご存知でありませんでした。
その事を主治医にご説明差し上げた所、非を認め、診断書の再作成に応じていただくことになりました。
再作成いただいた診断書は、1人暮らしを想定した場合は必ず援助が必要な評価となっていました。
その診断書を添付し、審査請求を行いましたが、棄却でした。
社会保険審査官が作成した決定書には、「審査請求書時に提出された診断書は原処分後に作成されたものであるため、採用できない。」とのことでした。
どんな理由であろうが、原処分(裁定請求の決定)後に作成された診断書は参考にしないというスタンスでした。
その後、再審査請求では、交通事故後実施された脳神経外科の検査結果などをかき集め、この検査結果からは到底1人での生活は不可能だという主張をしましたが、残念ながら棄却でした。
3.再度の裁定請求
再審査請求をした後、結果が出るのに、7~8か月かかるため、再審査請求が棄却となった場合にそなえ、再度の裁定請求も並行にすることにしました。
再審査請求の棄却の結果が出た後、しばらくして、再度の裁定請求の結果が届きました。
結果は、障害基礎年金2級でした。
お母様が裁定請求をして不支給結果となり、ご依頼を受けてから、審査請求、再審査請求を経て、再度の裁定請求の結果が出るまで、1年半かかりましたが、ようやく獲得した障害年金でした。
明るい未来を信じて疑わなかった女子大生の娘さんが突如として、他人の不注意から、1人で生活できない障害者となり、お母様は絶望していましたが、1年半を経て年金が認められ、ほっとされ何度も感謝の言葉をいただきました。
1年半の間もらえなかった年金額の損失も高額になります。
医師は傷病を治すことが仕事であり、日々その為の勉強に時間を費やしています。
診断書の記載ルールは社労士程は詳しくない方が殆どです。
医師に診断書を書いてもらい、不備がないかどうか、障害状態が妥当に表現されているかどうか、年金が通りそうかどうか、等不安があるようでしたら、是非障害年金を専門にしている社労士にご相談いただくことをお勧めします。
更新日時 2024/2/24
1.経緯
その方(女性)は、生後半年で、てんかん発作があり、医療機関への通院を続けましたが、幼稚園頃まで発作が続きました。
小学校では不登校があり、心療内科への通院を始め、神経症と診断されました。
中学は問題ありませんでしたが、高校、大学、専門学校は、人間関係の問題で、中退、転校を繰り返しました。
2度結婚をしましたが、いずれも家事ができず、喧嘩続きで、離婚となりました。
仕事も、同僚にいじめられたり、退職勧奨があり、2か月以上続くことはありませんでした。
心療内科も自分に合うところがなく、転医が続きました。
ある病院の精神科にかかり、初めて自閉症スペクトラム障害と言われ、人間関係が続かない、また家事ができない原因がわかったと言います。
自閉症スペクトラム障害とは
2.医師が変わり、障害基礎年金2級決定
最初、その方の母親より、相談がありました。
娘さんが、数えきれないほど転職を繰り返し、現在の病院で自閉症スペクトラム障害とわかったものの、主治医が障害年金の診断書作成に消極的とのことでした。
最初他の社労士に相談したところ、自閉症スペクトラム障害について詳しくないため、当事務所に相談となり、契約となりました。
初診日は、生後半年後のてんかんの受診か小学生の神経症の受診か迷うところでした。
主に小学生の神経症の受診を初診日とし、予備的に生後半年後のてんかんの受診を初診日とし、両者の受診状況等証明書を取得しました。
現在の病院の、障害年金の診断書作成に消極的な医師に、病歴、日常生活の不便、「WAIS-Ⅲ検査」結果をまとめた、診断書作成依頼書を提出し、診断書を作成してもらったところ、驚くことに、殆ど全く問題なく生活できる人の日常生活能力の評価でした。
さらに驚くことに、以前その病院で検査された「WAIS-Ⅲ検査」の結果が記載されていなかったのです。
そのため、本人と共に受診して、日常生活能力、及び「WAIS-Ⅲ検査」の説明を主治医にさせていただきました。
その医師より「WAIS-Ⅲ検査」結果の不記載について詫びがあったものの、日常生活能力の評価については正当性を主張されました。ご本人はその場で泣きだしました。
カルテに日常生活の記載がないから、全てできるという評価のようですが、日常生活に全く問題ない人が毎月精神科に通院するでしょうか?
カルテに記載が無ければ、日常生活のヒアリング、又は問診票、又は社労士等代理人の提供資料で確認するべきでないでしょうか?
医師の方から主治医交代の要否を尋ねられたため、私と本人は即交代をお願いし、後日同病院の別の医師の診察を受け直しました。
その後、新たな医師による、実態にあった診断書ができあがりました。
裁定請求を行い、無事障害基礎年金2級を取得できました。
主治医交代で若干裁定請求手続きは遅れましたが、主治医交代前の診断書で障害年金受給は不可能でしたので、ご本人、お母さまは大変喜ばれました。